心は空気で出来ている

その場の空気で書く日記

桜散り 川面を下る 花筏 破れた恋の 欠片を流し

花筏

「人はいつか還ってゆく 時を流れる花筏

 桜散るこの時期、川の水面に桜の花びらが集まってできる「花筏」が見られる。そこで一句詠んでみたわけだが、悲しいかな、花筏に載せて流すような、綺麗な恋の思い出が見当たらない。

 失恋の経験はいくつかあるものの、自然消滅的なものだったり、えげつない裏切りの末に泥沼化したりと、花筏に載せるには、少々軽すぎたり重すぎたり、ラジバンダリ。ちょうどいい切なさのある、綺麗な失恋というものがない。

 そんな私でも、川面を流れる花筏を眺めていると、ありもしない綺麗な失恋で味わうような切なさが、心に淡く浮かんでくるような気が、しないでもない。

 おそらく人生最後の失恋を期に、恋というものの本質を悟ってしまったような気がしていて、もう恋なんてしない……のではなくて、若いころのような恋はできないだろうと思う。

 恋がまったくできないとは思わないが、昔のように振り回されたり、溺れたりといったレベルで、どっぷりハマりこむ恋愛はできないだろう。肉体的にも、精神的にも、ああいう恋愛には若さとエネルギーが必要だ。

 結婚してから、恋のチャンスがなかったわけではない。世の中には、既婚者であることを承知で近づいてくる女性もいるのだ。しかし、お金がなければ浮気もできない。毎月の支払いを気にして誘いを断っているあいだに、初めは熱心にアプローチしてくれていた女性も、あきらめて離れていく。

 私のほうも、これといって貞操観念に縛られているつもりはないのだが、お金もないのに、大きなリスクを冒してまで浮気したいという欲望が湧いてこない。そう、欲望が湧いてこない。女性に関してだけではなく、金銭的にも欲がない。いつまでも貧乏から抜け出せないのは、あらゆる方面に対して、欲望が枯渇しているからかもしれない。

 腹の底から湧いてくる欲望があれば、いろんな行動を起こして生活を変えていけるかもしれないのだが、その欲望が欲しいという欲望すら湧いてこないのだから、もうどうしようもない。

 たぶん、私はいろいろと満たされてしまっているのかもしれない。もっとこうだったらいいのに、ああだったらいいのにと思うことはあっても、それが湧き上がる欲望に繋がらない。若い頃は、目標もないのに欲望だけがあって、どこにその欲望をぶつければいいのかわからず迷走したものだが、今は目標があっても欲望がついてこない。

 とまぁ、いろいろ考えるのだけど、心の隅にはいつも「何か違う」という感覚があって、自分の考えることはあまり信用していないのだ。チョメチョメの考え休むに似たりという言葉もあるように、私の頭はそれほど高性能ではない。あれこれ考えたところで、大した答えは見つからない。

 ともあれ、季節は晩春を迎え、日差しはいよいよ夏の色を帯び始めている。風はまだ涼しいが、空には夏の光がある。そろそろ車のサンシェードを用意しておかないとな。

 ということで、今日の話はこれでおしまい。

kenema 手拭い 注染手ぬぐい 『さくら』 花筏 36×90cm 51633

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古来の文様と色彩の研究―花筏・松皮菱・卍・月の兎・鼠色・茶色 その美的感情を紡ぐ

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