心は空気で出来ている

その場の空気で書く日記

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中華航空機事故から25年、当時の出来事を振り返る。

空へ―この悲しみを繰り返さないために

 昨日、4月26日で、中華航空140便墜落事故から25年が経った。昨日と今日の新聞にも、事故を振り返る特集記事が組まれていた。

 当時、姉の友人が名古屋空港近くに住んでおり、地震のような衝撃に驚いて外に出ると、空港の方角の空が炎で赤く照らされていたという。

 その後1カ月を待たずして、私は会社の旅行で、名古屋空港から香港へ向かう飛行機に乗った。離陸する時、まだ滑走路脇に機体の残骸が集められた状態だった。それが飛行機だったとは思えない、黒焦げの残骸を見ながらの離陸である。

 私にとって、それが生まれて初めての飛行機への搭乗だった。正直なところ、旅行前には不安しかなかった。同僚の間では、なにもこんな時期に……という声もあったが、結局全員が旅行に参加した。

 右も左もわからない状態で、言われるままにパスポートを取得し、当日は空港で列を作り、ターミナルで手続きをし、ブリッジを通って飛行機に乗り込んだ。その頃には不安より、初めての体験にワクワクする気分のほうが勝っていた。

 飛行機がタキシングで滑走路に向かう頃、空港の端に集められた、事故機の残骸が窓から見えた。再び不安が蘇ったが、すでに搭乗して、飛行機は動き出している。今さら後には引けない。

 滑走路のスタート地点でしばらく離陸を待ち、やがて飛行機のエンジン音が大きくなり、発進した。滑走路を走る飛行機はグングンと加速し、普段車に乗っている時に味わう加速をゆうに超えて、それまで味わったことのないレベルのGを感じた。まだ加速する。まだ加速するの?と思った頃に、ふわりと機体が浮くのを感じた。

 飛行機は離陸し、大きく旋回しながら地上を離れていった。旋回する時、傾いた機体の窓から地上が見え、事故機の残骸をまざまざと見せつけられた。これから初めての海外へ遊びに行くという期待感と、悲惨な事故の跡を見て感じる不安。どうにも形容しがたい、複雑な気持ちになった。

 そして、あれだけの事故があっても、自分を含め、その他大勢の人は、何事もなかったように飛行機に乗るのだな、と思った。当たり前の話ではある。車の事故があったからといって、車に乗らなくなる人はいないだろう。しかし、車の事故とは規模も違うし、運転するのは自分ではない。見ず知らずのパイロットに、自分の命を預けるという行為が、不思議なことのように思えた。

 あれから25年。セントレアができて、名古屋空港の国際線は廃止された。国際線ターミナルビルは、ユニー系列のショッピングセンターや映画館に変わり、その隣には航空博物館ができた。カラフルな小型旅客機を眺めながら、買い物や映画を楽しむ人たち、博物館の展示を見る子どもたちが訪れる。空港を訪れる人の中で、あの事故を知る人はどれだけいるだろうか。

 今は当たり前のように実現されている安全も、過去に起きた様々な事故と、その犠牲の上に成り立っているのだな、ということを今さらながら再認識した。そしてこれからも、様々な事故と犠牲の上に、新しい技術と安全が確立されていくのだろう。

 果たして、そこまでの犠牲を払って、技術を発展させることが正しいのかどうか、私にはわからない。人間は、どれほど仲間を犠牲にしても、突き進もうとする生き物なのだろう。困ったもんだ。

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