心は空気で出来ている

虚ろいゆく心のままに

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やりきれない

zuisho.hatenadiary.jp

 私もあの記事にブコメを残そうと思って、いろいろ考えて、結局何も出てこなくてあきらめたのだけど、たぶん書きたかったのはこういうことなんだな。

 「自分の家族が殺されても同じこと言えるのか」って、いやそれ言ってるおまえは殺されたのかって。殺されたことあるなら黙るけど。

 今朝からこのニュースを目にして、暗澹たる気持ちを払しょくできない。

 もし自分の子が同じ目に遭ったら……親ならばそう考えてしまうだろう。

 そしてその時には、犯人への憎悪を抑えることなど到底無理だろう。

 あるいは憎悪を募らせるより先に、精神を病んでしまうかもしれない。

 何も考えられなくなるか、あるいは考えすぎて、壊れてしまうかもしれない。

 しかし、今自分はその当事者ではない。そんな想像は無意味だ。

 防ぎようのない犯罪かもしれないが、何かしらの手立てを講じることはできるだろうし、100%ではないにしろ、何%かは防ぐことができるはずだ。

 自分は直接の当事者ではないが、間接的には当事者なのだ。この事件に限らず、世界中で起きている同様の事件は、日常生活と地続きの世界で起きている。全く他人事ではない。

 こういった事件に、他人事として関心を持たない人間が、このような犯罪を生み出す土壌となっている。人の不幸に無関心で無慈悲な人間の集団、つまりこの社会だ。

 しかし、社会という言葉を使うと、その抽象的な概念に責任が転嫁され、分散されて、ぼやけてしまう。

 人間である以上、人間社会に組み込まれて生きている以上、私自身もその「土壌」の一部なのだ。どんなにシラを切っても、無関係ではあり得ない。

 自分自身が、この悲惨な事件と無関係ではあり得ないという重みを、受け止めるしかない。そのことが、自分の生き方に、何らかの形で反映されると信じたい。