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心の旅 (8)<終>

クリシュナムルティの瞑想録―自由への飛翔 (mind books)

 前回のあらすじ

 <自己認識の意味を知り、自分の心を常に観察し続けるすべを身につけた私は、その副作用として自己嫌悪に陥ることになりました。ある気づきによって、その状態を脱することができ、さらなる深みへと探求を進めることに……>

 自己嫌悪の罠から脱した私は、自分の考えが、知らず知らずのうちに、自分自身をだますことがあるのだと知りました。

 そんな頃、私は再び、クリシュナムルティの本を読み返し始めました。するとどうでしょう。それまで全くわからなかった言葉の意味がわかるのです。もちろん、全てではありませんが、単なる言葉の羅列でしかなかった文章が、ちゃんと意味を伴って頭に入ってくるようになりました。

 「わかるぞ……私にも意味がわかる!」

 つまり、自分の心がどのように働いているかを、実際に観察して、体験し、理解したことで、クリシュナムルティの言葉の意味がわかるようになったのでした。まさに、百聞は一見に如かず。

 子どもの頃はわからなかった恋愛の歌の意味が、成長して恋愛を経験することで、実体験として理解できるようになるのと同じようなことです。恋愛にまつわる苦しみ、切なさ、喜びなど、実際に体験してみないと、言葉の本当の意味はわかりませんからね。

 そう、時を同じくして、私は恋をしていました。ひきこもりを脱し、就職した会社で出会った女性に恋をしました。大人になって初めての、本格的な恋でした。子どもの頃や思春期の、淡い、憧れのような感覚とは異なる、切実で、苦しく、辛い、濃密な体験。

 自己認識を学んでいく過程で、恋愛が同時進行していたことは、私にとって非常な苦しみであると同時に、貴重な学びでもありました。この恋愛がなければ、私の自己認識はそこまで深まらなかったと思います。

 恋愛とは、自分の本性をさらけ出す過程です。我儘、利己心、嫉妬、欲望、打算が渦巻く自分の心を観察することは、深刻な自己嫌悪をもたらしました。綺麗ごとで覆い隠すことが許されない、むき出しのエゴを目の当たりにして、私には人を好きになる資格などありはしない、とまで思いつめていました。

 結局、その恋愛は成就することなく終わりましたが、私が「大人になる」助けにはなりました。決して「いい思い出」として美化することはできない、むしろ恥ずかしいことばかりの記憶ですが、より深く自分を知ることができた体験です。

 私は、その体験を通じて、初めて「愛」とは何か、「自由」とはどういうことかを学んだ気がします。恋が叶うかどうか、相手に認められるかどうかとは関係なく、際限なく襲い来る懊悩の中で、突然現れた光。そして解放。

 愛する愛さないではなく、愛される愛されないでもない。ただ胸の内に燦然と輝く、太陽のような愛。そういうものが、人の心の内に生じることがあるのだとわかっただけで、人生がまるごと救われた気がしました。それまでの、底の見えない自己否定が、一転して完全な肯定感に変わりました。これでいいのだ、と。どんな自分であれ、生きていていいのだと感じました。

 その出来事を一つの到達点として、真理を求める心の旅は終わりました。真理は求めるものでも、探し出すものでもなく、ただ「ある」ものなのだと理解したからです。悟りを開いたわけでも、真理を体得したわけでもありませんが、少なくともその時点で、私には真理を求める必要がなくなりました。

 あれからいろいろな浮き沈みを経て、今の私がありますが、人生の基盤には常に、あの体験から得た何かがあったような気がします。

赤塚不二夫自叙伝 これでいいのだ (文春文庫)

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これでいいのだ

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これでいいのだ

これでいいのだ

 

 

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